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多様化する農業 – 野生的思考の目覚め

with 古在 豊樹 (元千葉大学学長、同大学名誉教授)

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古在 豊樹 (元千葉大学学長、同大学名誉教授)

千葉 日本

千葉大学園芸学部卒業、東京大学大学院博士課程修了。千葉大学園芸学部教授、同学部長、環境健康フィールド科学センター長、同大学学長を経て、現在は、名誉教授、植物工場研究会理事長等。日本農業気象学会賞、日本植物工場学会賞、日本生物環境調節学会賞、日本農業工学会賞、日本農学賞、紫綬褒章、中国・国家友誼賞、米国・培養生物学会生涯功績賞等を受賞。主な著書に、“Plant Factory: An indoor vertical farming system for efficient quality food production (Elsevier)’、「人工光型植物工場(オーム社)」、「太陽光型植物工場(オーム社)」、「『幸せの種』はきっと見つかる」(祥伝社)、「図解でよくわかる植物工場のきほん、誠文堂新光社」など多数。

古在 豊樹 (元千葉大学学長、同大学名誉教授)

"生態系の安定性は多様性に依存するという意味で、農業は多様にならざるを得ず、多様であることが持続可能であることの必須条件であると思っています。"

- 植物工場に限らず、現在農業を取り巻く環境はテクノロジーの発展により大きく変革していますが、今後「農業」という産業自体の概念はどのように変わっていくとお考えですか?

古在豊樹 : まず一言に農業と言っても、園芸、畜産、米作などさまざまな分野があり、水産業や林業を含める場合もあります。それらの分野全てを、生産方式を含めて「農業」と一括りに捉えると、時として誤解を生じます。

例えば、食用作物は、コメ、トウモロコシ、ジャガイモ、ダイズなど人間が主としてエネルギー(カロリー)を摂取するために食するカロリー性植物と、ビタミンCやミネラル、ポリフェノール、薬効成分などの機能性成分を摂取するための機能性植物(野菜、薬草、香草など)に大別されます。

共に食料ですが、その栄養学的役割が異なります。前者の販売価格当たりに必要な光量・土地面積・栽培日数は後者のそれより大幅に大きいのが特徴です。したがって、カロリー性植物は今後とも田畑で生産されます。なお、両種の作物とも情報通信技術を大幅に取り入れることで、投入資源の利用効率が今後はかなり高まることになるでしょう。

テクノロジーの発展によって様々な種類の農作物が世界中どこでも経営的に成立する形で栽培することが可能になるという考えは主にテクノロジーに偏重した一部に存在しますが、カロリー性作物の収量・品質は、今後とも、その土壌、水、気象、生態系などの地域性に影響されます。

他方、人工光型植物工場(以下、植物工場)の場合は、世界のどこでも同様に植物の生産が可能です。しかしそれは、経営が成り立ちサステナブルに生産販売が可能ということとは異なります。生産販売が可能かどうかは、その地域での食文化と社会経済的状況、さらには利用し得る自然資源が影響するからです。いずれにせよ、サステナブルな生産を可能にするには、投入した資源に対して質の高い植物がたくさん収穫でき、資源の利用効率が高いということが必須条件になります。

カロリー性の植物と機能性の植物の栽培方法を例に挙げるならば、前者は光エネルギーが化学エネルギーに変換されて植物体内の炭水化物、たんぱく質、脂肪として蓄積されるので、その化学エネルギー変換に必要な大量の光エネルギーが必要ですが、光エネルギーを得るために大量の電気を経営的に調達することは不可能です。水田での日射エネルギーからコメの化学エネルギーへのエネルギー変換比率は0.1%程度で、環境調節下で人工光エネルギーを使用してコメを生産したとしても、その変換比率は1〜3%です。植物の光エネルギーの理論的な利用効率は最大で約10%といわれていますので、変換比率のさらなる改善は可能ですが、カロリー性植物生産に大量の光エネルギーを電気エネルギーから得るのは非現実的です。

つまり、密閉度が高い植物工場で経営的に対象となるのは機能性植物で、カロリー性植物は基本的には人工光型植物工場の対象にはならず、両者の区別をさせる必要があります。

- 今後、地球環境の変化に伴い植物の栽培とテクノロジーはより密接なものになると思いますが、その時に生物の進化の過程で起きた自然淘汰のように、例えば植物工場での栽培に適さない植物は段々と消滅をする、いわゆる技術淘汰とでも呼べる現象は起きるのでしょうか?

古在豊樹 : その問いに答えるには、まず農業の実態、生態系の原理や自然の成り立ちを考える必要があります。植物工場で商業生産が可能な機能性植物のうち、実際に植物工場で生産されるのは、当分は、農作物のうちの数%だけです。他方、情報技術の進展により、田畑の栽培は大規模でなくても十分に効率的になります。大規模でなければ資源利用効率が低い、利益が出ないというのは情報通信技術を十分に使いこなせない場合の話です。

昔は超大型のコンピューターが主流でしたが、情報通信技術の進展で、モバイル、小型であること、双方向ネットワーク化することの方が効率的になりました。農業生産システムも自律分散協調システムに向かって進展することが必要です。先端的と大規模というイメージが重なってしまうことをなくすよう、私たちは敢えて小さい植物工場も植物工場と呼んでいるのです。

一度作ると地球上の誰もが何処でも使える再現性の高い技術をグローバル技術と呼ぶとすれば、ユーザーはそのグローバル技術をローカルやパーソナルに使っています。同じスマートフォンでも使い方は地域や人によって違うわけです。つまり農業においてグローバル技術を導入すると、作物生産の方式をより地域性を活かしたローカルなものにできますし、そうするべきです。グローバル技術を使うことによって、農業がよりローカル、パーソナルで多様になっていくことが望まれます。それをサポートしてくれる情報通信技術、人工知能、3Dプリンター技術、再生可能自然エネルギーの技術があるのです。

つまり、生態系の安定性は多様性に依存するという意味で、農業は多様にならざるを得ず、多様であることが持続可能であることの必須条件であると思っています。近年、情報通信技術の利用に関する限界費用がゼロに近づいていますが、これによって人間の英知は累乗的に電脳空間に蓄積されていきます。現状では、不確かな情報も多いのは事実ですが、今後、遺伝子やゲノムの情報を含めたデータベースを人類規模で集合させることによって、社会・自然・人間の多様性はより豊かになり、そして継続的に保たれることになるでしょう。

"今後の都市は農耕文化都市となり、今後の農村は文化創造農村となり、どの地域も暮らし良く、地域の風土・文化を活かした地域になっていくと思います。"

- テクノロジーによる農業の多様化は、植物が栽培される土地にはどのような影響をもたらすのでしょうか。例えば、都市型農業や家庭菜園は従来の都市対農村という従来の境界線を緩和するのでしょうか。

古在豊樹:それは重要な指摘で、都市と農村という二項対立的に考えるのが一番良くないと思っています。なぜ都市と農村を分けなければいけないのか。都市にも農村的なものが必要であり、農村にも都市的なものが必要です。今後の都市は農耕文化都市となり、今後の農村は文化創造農村となり、どの地域も暮らし良く、地域の風土・文化を活かした地域になっていくと思います。

都市住民が家庭菜園などによって、農業ないし自然との距離が近づいていますが、都市農業は農業の一部ではあっても農業のあり方は新潟の専業米農家とは違います。都市農業は都市における文化として重要性が増すでしょう。

日本人はカルチャーを文化と耕作という二つの異なる言葉で表現しますが、英語ではどちらも(カルチャー)という単語を使用します。その裏には農業が文化を作り出したという意識が隠れていて、カルチャーは基本的にはローカルで、農作業に伴う謡い、祈り、踊り、詩歌と関係深く、その土地の文化はその土地の歴史、風土、気候に影響されて創られていくのです。

文化に似た言葉で文明というのがあります。日本語だと「文」という共通の文字がありますが英語だとCultureとCivilizationという全く語源が違うものです。辞書を引くとcivilizationというのは都市で作り出されたとあります。ポリスの中でcivilizationが起きて、都市の外側に住む農民はその都市に入れることはできませんでした。

この文明技術を無批判に農業に取り入れると、都市も含めて広い地域の崩壊が起きることは歴史を顧みれば明らかです。グローバル技術は世界中がどこでも通用する汎用性を持っていますが、土壌、水、気候に依存する米作は、グローバル技術だけではできません。

- 人間と自然の関係はどのようなものになるのでしょうか。

古在豊樹:その問いに答えるには西洋思想的だけでなく東洋思想的にも考える必要があります。例えば、「都市の人にも農業が必要です」という場合、西洋思想的な生き方だけでなく、自然の一部としての自分の身体を通じて自然を感じる東洋思想的な生き方をする「耕す市民」が増えることも意味します。「耕す市民」は、食品箱に記載されている賞味期限でなく自分の味覚で判断ができる、漬物や干物を自分で作れる、どれくらいが適量の食事なのかも身体が教えてくれる。

西洋思想には、人間と動物は異なり、人間は非動物的であるべきという考え方がありますが、仏教では、私とすべての生き物は同じ命を持っていて、命の尊さは同じであるという考えがあります。重要な事実として人間の遺伝子の99.8%はチンパンジーと同じで人間は、植物、カビ、動物の遺伝子と同様な遺伝子も有しています。そしてその遺伝子が、畑を耕したい、犬と遊びたい、自然に溶け込みたいという感覚を生み出します。人間と他の動物では頭脳に関する遺伝子がかなり違うため、現代の人間は生き物としての本質的な欲求をかなり抑えていると思います。生き物というと獣的な面を思い浮かべる方がいますが、多くの生き物は利他的、母性的、協調的、共生的な面を多分に有しています。

要するに「耕す市民」というのは、人間にチンパンジー的資質も身に付けましょうということです。そういうセンスがあると、人間特有の欲におぼれて無駄なことをする必要がなくなるでしょう。チンパンジーが一万円札を貯める意味がないと知っているように。

Interview & Text : Marika Nakada (EUGENE KANGAWA STUDIO)